バリ島で是非一度訪れたいと思っていた場所だ。インドネシア独立戦争のときここマルガが激戦の場となり、インドネシア独立軍グラライ将軍率いる94人が死ぬまで戦い全滅した。グラライ将軍を始め独立戦争で亡くなった1372人の人を祀るため作られた。この中には先の大戦終戦後インドネシアに残り独立戦争に参加した11人の日本人の墓もある。
左:墓地入口の割れ門  右:記念塔
下左:グラライ塔 広場の奥にある
下中:グラライ塔 彼の写真が飾ってある
    グラライ29歳の若さで戦い亡くなった
下右:記念塔 左にグラライ塔が見える

境内は本当に観光客がいない。私のガイドがここは専門のガイドが案内しますと・・・と女の人を紹介してくれましたが、この人何もしゃべらず、ぐるっと寺院を回るだけで、最後「私の店でオミヤゲ買ってくれ」という。店の女の子がガイドして最後お土産を買わすシステムの様だ。私は小さな木彫りを1/5位にして買いました。
写真上段:境内の入口。中には入れません。
       割れ門があり、周りの通路から観光
中段:小さなメルがひっそりと建っています。
下段左:苔むしたガルーダ象です
下段右:近くで捕らえたコウモリ。えさをやってみろ
     と言われてやったが、donationしてと
     お金を要求された

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マルガ英雄墓地観光(2010年10月11日)

先の大戦後ヨーロッパで日本との国民感情の融和が長くかかった国がオランダで、その元が元日本兵の独立戦争参戦にあるという。赤紙一枚で徴兵され悲惨な戦いを果敢に戦い生き残ったというのに何故、更にこの地に残りインドネシア独立戦争に参加し、死んでいったのであろうか。一外国人でも死を賭して守るべきものがこの地にはあるということか 合掌!
写真上段:墓地周辺にある集会場、が沐浴
       場など整備されている
下左:入口にある1372人の名簿
下右:大きな神木ガジョマロ 

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タマン・アユン寺院観光写真はこちらから
バトゥカウ寺院・ジャティルイ棚田ちらから

  ブキッ・サリ寺院 観光(2010年10月11日)

広場の奥に小さな割れ門があり、ここから墓地だ。墓はいくつかの区画に分かれて建てられているがどの墓も同じ大きさ同じ形だ。日本人の墓も全く同じに扱われていて、名板には「from japan」と書かれ日本名の者も、現地名の者もある。中には28,9歳で亡くなった人の墓もある。
彼らは戦争終了後何を思い,感じこの地に残り、独立戦争に参加し、死んで行ったのだろうか
左:日本人の墓 戦後60年も過ぎても毎年ここに訪れて花を手向ける親族がいるという
中:整然と並んだ墓   右:墓地入口の割れ門

2009.9.13
追加しました

メングウイから約7km北東にあるサンゲエは「猿の森」と呼ばれている。この中心にあるのがブキッ・サリ寺院、通称モンキーテンプルと呼ばれており、境内にはたくさんの野生の猿が棲んでいる
17世紀にヴィシュヌ神を祀るためにメングウイ王家によって建てられた。森の中、寺院奥には苔むしたガルーダ像が鎮座し睨みを利かせている。
左:境内の様子 猿しかいないほど静か
右:涼しいところで猿がたむろしている