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2008.3.22
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ブラッディ・ノーズ・リッジ・モニュメント展望台より


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パラオ・ペリリュ島戦跡訪問
「諸国から訪れる旅人たちよ、この島を守るために日本軍人がいかに勇敢な愛国心を持って戦い、そして玉砕したかを伝えられよ」 この言葉は当時の米太平洋艦隊司令長官、ニミッツ海軍元帥が日本軍のペリリュー島玉砕に際し作った詩である。 時の司令長官にこのように称えられた戦闘とはどんなものだったのか、パラオに行ったら是非その戦跡を訪ねてみようと思っていたが、今回やっと実現した。
訪れたペリリュー島は熱帯樹林に覆われ、静穏そのもので、点在する朽ち果てた戦跡をみて、とてもここで先の大戦でも最も激しい戦闘が行われた島であったと想像することは難しい。 しかし、戦闘の様子を実際に見、聞きし改めて戦争の悲惨さを思い知る有意義な訪問であった。

私の日記です。ダイビング、旅行などを中心に気ままに書いていますよければ見てください  

展望台から見るペリリュー島は見渡す限りジャングルの島で
この国の国鳥ビーブの鳴き声が「ホー」「ホー」と聞こえる、大変のどかな島であった。
60数年前、ここで日米両軍合わせ2万人以上の死者を出した
激戦が行われた場所とはとても思えない




日本軍、兵士1万2千。米軍、兵士4万2千。
兵力も武力もはるかに上回る米軍相手に戦うこと二ヶ月あまり
援軍も無く武器弾薬、食料も水も底をついた。
米軍の凄まじい攻撃は間近に迫ってきた。

昭和19年11月24日午後4時
中川大佐は軍旗と機密書類をすべて焼却。
パラオ本部に打電する。
「サクラ サクラ」

そして

ペリリュー島玉砕

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