同じく室内
田辺という紀伊半島南部の小都市に住みながら、海外の高名な学者
とのやりとりや、『ネイチャー』をはじめ、ロンドンの科学雑誌への
投稿を通じて、常に世界の知的情報の流れとつながっていたとの事。
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