1945年5月25日の南部撤退命令により病院が
移転された後は住人と、負傷兵の雑居状態になった
米軍の火炎放射攻撃や生き埋め攻撃に遭遇しながら
生きながらえた住民と負傷兵200人が降伏勧告に
従ってやっと壕を出ることになった
前へ 次へ