昭和22年4月22日澄川少将の呼びかけに応じ。山口永少尉以下34名はついにに投降し、終戦を迎えた。玉砕から2年5ヶ月、終戦から1年8ヶ月後のことであった。玉砕後も洞窟陣地に立てこもり、昼は動かず、夜は米軍の倉庫から食料を調達し、日本軍反攻の機会をうかがいながらゲリラ戦を展開していた。 そのときの写真だが、皆若く子供みたいだ。

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